うちのクリニックの待合室の本棚を見てみるとわかると思いますが、大前研一氏の著書が並んでいます。
そう、氏の書く、言いたい放題の本が好きなのです。
メディアに出ることが少ないので、若い人は知らないかもしれません。
また、氏を知っている人の中では、賛否両論意見の分かれる個性の持ち主だと思います。
今回ご紹介する本は、そんな個性的なキャラクターの大前氏が自分の子育てをしているとき、今から15年前に書いた本に、自分たちの息子のインタビューも盛り込んで再編集された本です。
「一生食べていける力」がつく大前家の子育て
いろいろと、頷く事が多いのですが、僕が大変共感したのは、
人生は「ファイナルファンタジー」
という章です。
子供の可能性をスポイルする「偏差値」の罪
「ファイナルファンタジー」というゲームソフトは、ステージごとにまったく違う運命がぱーっと開ける。いままでずいぶん苦労してきたけど、あるステージまで来たらまったく新しい運命が開ける。これこそ実際の人生に近いと言える。そもそも人間の運命というのは、学校の成績とか、先生の言う事をよく聞いたとか、親が金持ちだったとかに関係なく、予期しない出来事によって、突然変わるもの。ところが、今の日本の学校教育というのは、非常に早い時期に子供の能力を偏差値で輪切りにしてしまいます。これは、小学校のころから人生そのもに対する価値観を、国のほうで、かばかりながら決めさせていただきまうという、とんでもない制度です。
しかし、子供のころからテストを通じて毎年2回、3回こういうことをやられてくると、それを受け入れるか、反発するかどちらかの選択肢しか、子供にはなくなってしまいます。
人間の才能はいつ、どこで花開くかわからない
子供のころから偏差値で自分の価値を「権威」から申し渡される。これだけは早く改めなければいけない。なぜなら、これまで見てきた人間の可能性というのは、そんな単純なものではないからです。学校の成績はダメだったけれども、特別な事業の勘があるとか、あるいは人に非常にやさしく人望があるとか、人間は実にいろいろな可能性を持っています。そして、このような才能はいつ、どこで花開くかわからないのです。
先生や親は、「今勉強しなかったら将来大変になる。今の勉強が将来を決めるのだ」と言います。しかし、もし今勉強したくないのなら「一年間放浪の旅に出てこらん。今の日本なら路頭に迷うことはないし、どこかのファーストフードショップでアルバイトをしながら日本中を巡ってみるといい。それでまた勉強をしたくなったら戻っておいで」と行ってみたらどうでしょう。突飛に聞こえるかもしれませんが、これがこれからの正しい生き方だと思います。将来のことがわかっている親なんて実はいないのですから。
「いい大学、いい会社=幸福な人生」とは限らない
オーストラリアのケアンズに休暇にいって、一週間ほど滞在していました。背広姿で調査などに来ている一団はそれこそエリートサラリーマンでしたが、男同士のおよそリゾート地にふさわしくないグループでした。休暇で来ている人のなかに「私はトヨタで営業部に勤めています」というような人はいません。トヨタ、日産、東芝や日立はいい会社ですが、常に出世、出世で、定年退職するまで長い休みはとれません。またいまは、エスカレーターの最上段にある会社がみんな壊れてきている時代です。
自営業のほうがいいと断定しているわけではありませんが、これまで、日本中のほとんどの親が、「いい大学、いい会社」と大企業を念頭においた教育をしてきました。学校もそれに合わせた教育をしてきました。
このあたりで、子供たちの「30年後の姿」をいま一度思い描くことも必要ではないでしょうか。
こんな事が書いてあります。
いつも思うのですが、正しい答えは一つではありません。
この本に書いてあることも正しいかどうかは、その人の立場によっても変わってくるかと思います。
ただ、今の日本の学校教育、偏差値偏重主義、画一化、硬直した教育システム、いろいろと気になることは多く、考えさせられる一冊でした。
まあ、同じように僕が出来るかと言ったら、難しいところもありますが。